2006年10月10日

沖縄の10・10空襲は、今日の“軍事要塞化戦略”の始まり

10月10日というと、
 「少し前までは“体育の日”でさ、
  曜日に関係なく祝日だったもんだから、
  日曜と重なる年はアンラッキィだったよなぁ」

というノー天気な人も多いと思いますが、
1944年(昭和19年)10月10日、62年前の今日は、
沖縄全域に米軍による無差別空襲が行われた日でもあるのです。

当時の国民学校では、遠足を“行軍”、
ランドセルも敵国の言葉として“背嚢”(はいのう)と
言い換えられ、
学年や学級は中隊、小隊と呼ぶようにされました。

2月、政府は決戦非常措置要綱を決定し、
沖縄県庁は本土や台湾への疎開を進め、
町村では防衛隊の編成が始まり、
5月からは、中学生らも
陣地構築に駆り出され、授業は中止されました。

郷土(=本土)防衛と鼓舞され、
「軍官民共生死一体化」
という掛け声のもと、沖縄戦に突入してゆくのですが、
沖縄人にとってそれは、「共生」などではなく「共死」であり、
強制された「自死」への道でもあったのです。


米海軍第3艦隊所属の第38高速空母機動部隊が、
10日早朝から、
グラマンF6ヘルキャット艦上戦闘機や爆撃機など、
延べ1,396機の艦載機を投入して、
沖縄本島を中心に奄美大島以南の南西諸島の主要な島々に
波状攻撃をしました。

・ 第1次空襲  6時40分〜 8時20分
  延べ約240機で読谷村の飛行場などを攻撃

・ 第2次空襲  9時20分〜10時15分
  延べ約220機で船舶および飛行場攻撃

・ 第3次空襲 11時45分〜12時30分
  延べ約140機で那覇、渡久地、名護、運天、
  与那原、泡瀬などの各港湾施設を攻撃

・ 第4次空襲 12時40分〜13時40分
  延べ約130機で那覇市へ集中攻撃

・ 第5次空襲 14時45分〜15時45分
  延べ約170機で那覇市へ集中攻撃

飛行場や港湾などの軍事拠点だけでなく、
民間施設に対しても、無差別空爆が9時間も続いた結果、
本島では少なくとも軍人・軍属、民間人を含む668人が死亡、
768人が負傷しました。

海上でも空爆と潜水艦攻撃により、
民間船舶を含む約200隻が沈没しました。

久米島近海では、民間人数百人が犠牲になりました。

昭和19年3月に編成された沖縄守備軍の
第32軍司令部(牛島満司令官)が置かれた那覇市は
家屋の9割が全焼全壊となりました。

南西諸島を襲った初の大規模空襲で、
県民1か月分に相当する米や、
医薬品など多大な損害を被りました。

米軍の10・10(じゅうじゅう)空襲の主目的は、
「マリアナ諸島のサイパン、テニアン、グアムを占領し、
 日本の包囲網を着々と縮めつつある米軍が、
 次の占領目標のフィリピン侵攻作戦を支援するために、
 南西諸島に築かれた日本軍の
 航空基地を壊滅すること」

にあったようです。

南西諸島の空爆に出撃した米軍の第38機動部隊は、
・ 空母28隻
・ 戦艦6隻
など、245隻の大艦隊で、
当時南西諸島に接近中の台風に乗じて、
知念村の沖合い約280km地点まで
日本軍に察知させずに到達し、10日早朝から
艦載機による5次にわたる波状攻撃を行ったのです。

那覇市では、午前7時に空襲警報が発令され、
サイレンや半鐘が鳴り響きましたが、
米軍機は、その前の午前6時40分には、
すでに那覇市上空に到達していました。

米軍機は低空から機銃掃射を繰り返し、
軍事施設だけでなく、民家や学校、病院にも
無差別に爆撃を行いました。

那覇市全域には、またたく間に火災が発生し、
黒煙が上空高く立ち込めたと伝えられています。

米軍による爆撃は、那覇市以外でも
・ 大東島
・ 奄美大島
・ 徳之島
・ 宮古島
・ 石垣島
などにも同時多発的に行われました。

特に、
・ 伊江島
・ 北(読谷)
・ 中(北谷村嘉手納)
・ 南(浦添)
・ 東(西原)
・ 小禄(現・那覇空港)
の飛行場は集中的に破壊されました。

軍関係船舶も、ほとんどが撃沈、撃破されました。

さらに、
・ 屋我地島のハンセン病療養所
・ 名護国民学校
・ 南風原村与那覇の民家
・ 糸満の民家
なども攻撃を受けました。

沖縄守備隊第32軍の「南西空襲詳報」では、
・ 第32軍の軍人・軍属の戦死者136人
・ 海軍の戦死者82人
・ 陸軍関係の人夫の戦死者120人
・ 民間人の死者330人(このうち那覇市255人)
が犠牲になった、と書かれています。

第32軍は、各種砲弾が多大な損害を受けたほかにも、
・ 県民1か月分に相当する精米3,255トン
・ 味噌などの調味料187トン
沖縄陸軍病院では、
・ 医薬品4割
を失いました。

空爆の第4次(12時40分〜13時40分)と
第5次(14時45分〜15時45分)は、
那覇市に対する無差別攻撃でした。

その結果。那覇市民255人が死亡、
負傷者は358人に達しました。

第4次(12時40分〜13時40分)攻撃では、
多数の焼夷(しょうい)弾が使用され、那覇市中心部の、
・ 上之蔵町
・ 天妃町
・ 西新町
・ 東町
が炎上、
住民が一斉に退避して無人化していたことで消火活動が遅れ、
その後の第5次攻撃も併せて、
那覇市の家屋9割が焼失したのです。

この空襲の時、
民家の防空壕へ真っ先に逃げ込んだのは日本軍兵士で、
後から防空壕に入ろうとする住民を追い出しました。

焼け残った家は軍が徴用し、物は勝手に使い、
残っていた婦女子を暴行するという事件も多発したそうです。


五穀豊穣を祈願して、
約400年間も行われている那覇の大綱引が
一昨日の8日(日曜)午後3時から、
国道58号線久茂地(くもじ)交差点で行われ、
数万人が集まる大盛況でしたが、
62年前の10日は、
このあたりは焼夷弾の投下で火の海だったのです。

posted by RIUさん at 17:45| 沖縄 ☔| Comment(1) | TrackBack(1) | 沖縄戦を含む大東亜戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
とても参考になりました。ぼくも移住の予定をしています。ご指摘の課題をたっぷりと抱えています。それでも・・・。いつか、お目にかかれたときはよろしくお願いします。ありがとうございました。
Posted by soy at 2012年02月02日 10:27
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