2006年04月04日

元漫才師の松本竜助氏が亡くなったことでの、後味の悪さ

漫才コンビで一世を風靡した「島田紳助・松本竜介」の
松本竜助氏が4月1日に脳出血で亡くなり、
昨日3日に告別式が行われました。

故人が生きているうちには、近寄りもしないクセに、
亡くなると葬式にやってきて、わざとらしく涙を流す、
という光景は日常的で珍しくもなんともありませんが、
「紳助・竜介」が昭和55年の漫才ブームを牽引し、
その後コンビを解消して、
芸能界の頂点に立った島田紳助に対し、
竜助氏は自己破産するなど解散後の人生は対照的でした。

竜助氏はテレビ画面で見たとおりの不器用で
要領が悪い方だったようです。

紳助は、うぬぼれも強いのですが、確かに才能があり、
その後のコンビの2人の生き方は
天と地ほどの開きになってしまいました。

紳助が司会やキャスターで成功し、
副業の貸ビル・飲食業などの収入を含めると、
「年間収入10億円」という羽振りのよさに対し、
竜助氏は平成9年に吉本興業を離れた後は、
居酒屋やアダルトビデオ制作に携わって全て失敗し、
平成10年には1億3000万円の負債を抱えて
自己破産しています。

最後は、大阪市内で
風俗案内店の責任者をしていたようです。

雪だるまが坂道を転げ落ちてゆくような
絵に描いたようなボロボロな悲惨な人生でした。

竜助氏は生前、紳助に何度も助けを求めたり、
漫才の再開を請うたりしていますが、
紳助は全て突き放していました。

4月2日の通夜には西川きよし、明石家さんま、
B&B、オール阪神・巨人といった
吉本興業の大物が参列しましたが、
紳助は
「葬式が終わってから、ゆっくり会いに行く」
として
4月2日の通夜、4月3日の告別式とも欠席しています。

葬儀には全く顔を出さない紳助が、
東京のテレビ局で取材陣に
「50歳になったら1回だけ、漫才を一緒にしようと言っていた。
 つなぎの衣装も用意していたのに、
 竜助の誕生日(4月6日)直前で逝ってしまった。
 ネタ合わせして、ぼくに怒られたくないから、
 寝たふりしていると思いたかった。
 コンビを別れても僕のことを我がことのようにほめてくれ、
 つらい時は懸命に励ましてくれた。
 めっちゃ下手だけど、めっちゃめっちゃすごい相方でした」

と神妙そうに白々しく語りました。

紳助は、
自分だけの力で頂点に上り詰めたのではないのですから、
生きているうちに竜助に
手を差し伸べてほしかったと思います。

このあたりに、紳助の傲慢さが垣間見えますね。

紳助は、暴力事件もなかったかのように
最近は調子付いていますが、
暴力事件のダメージから、イメージアップを図るための
作戦として会見を利用しているのです。

暴力事件は、
被害者がいまだに社会復帰出来ない状態で
今も苦しんでいます。


訴訟すらできない状態なのです。

紳助は、鑑定団のアシスタントを食ったり、
愛人の熊田YO子をこそこそ連れ歩く時間があるのなら、
会見で相方を持ち上げるなら、
暴力事件の被害者に全面的な謝罪と保障を示し、
誠意を見せるべきでしょう。

ナインティナインの岡村隆史の自宅マンションから
熊田YO子が出てきた朝帰り事件は、
紳助が熊田との仲を疑われだしたことを避けるために
仕組んだもので、
紳助が岡村隆史に依頼したもので、
マスコミに連絡したのも紳助サイドです。

その後、「仲の良い友だち」のはずの
岡村と熊田が、一切交流がないのはそのためなのです。




posted by RIUさん at 12:07| Comment(2) | TrackBack(1) | その時歴史が動いた | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
なんでお金をあげる必要があんの?
自分の人生に責任をもつのは当たり前。

誰かに助けてもらおうとするやつは論外


Posted by 信二 at 2013年02月27日 00:09
お金をあげるなんてどこにも書いてないでしょ…。 
「手を差し伸べる」を お金を恵んでやるという意味にとったんですか?
文章を読む能力が無い人ですね。
Posted by R at 2015年08月07日 23:54
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大好きな手羽先唐揚。
Excerpt: 先日、居酒屋さんへ飲みに行きました!お店の名前は鳥良。ココの居酒屋さんの、手羽先唐揚が、私は大好きですあの、甘辛くスパイシーな味付けで、
Weblog: 大好きな手羽先唐揚。
Tracked: 2006-04-04 20:31
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